卒業生から

 

私たちのオーケストラには、自身や家族の仕事の関係でドイツに暮らしているという団員が大勢います。そのため、任期が終ると同時に、いろいろな思いを胸にこのオーケストラを去って、日本に帰ったり、あるいは他の国へと旅立って行く団員もいるのです。

 

しかたがないことですが、ドイツにいる私たちとしてはやっぱり淋しい。そこで、いっしょに音楽を奏でた仲間たちと繋がっていたい、という気持ちから、日本へ帰国した元団員、つまりNCOの「卒業生」からのメッセージのページを作りました。離れていてもやっぱり同じように音楽を楽しんでいるということや、「懐かしい曲を演奏するたびに、隣りにあなたがいっしょにいたあの時のことを思い出すよ!」という気持ちなどを、お互いに伝え合えたらいいなと思うのです。

 

 

2009年7月帰国 N.K.*Vn

 

NCOには2008年の設立当初からお世話になりました。このオケなくして今の私は無いと思えるほど、たくさんの貴重な経験をさせていただきました。NCOは私にとって家族のような存在であり、オーケストラの楽しさを教えてくれたかけがえのない存在です。今でも時折、楽しい思い出がよみがえります。

 

私のバイオリンとの出会いは高校生の頃でした。友人に半ば強引に引きずり込まれるようにオーケストラ部に入部したことがきっかけです。

 

今でも忘れられないスパルタ練習の日々であったため、あまり楽しいとは思えず、高校を卒業したらやめよう、そう思っていました。それなのに、ご縁あって大学オケにも入部。大学を卒業したらやめよう(今度こそ・・・)、そう思い、渡独する際にバイオリンは日本の自宅に置き去りにしました。ところが、大学同窓会の新年会で、大学オケ出身の親切なご夫妻と出会い、デュッセルドルフの市民オケに入団、またそれがきっかけでNCOへの入団にも至ったという経緯です。

 

当時のNCOは設立当初だったため、人数も少なく、バイオリンも4〜5名といったところでした。私はそれまで編成の大きいオケにしか所属したことがなかったため、弦楽器でも各自の音が聞こえてしまうことに大変驚きました。練習時の人数が少ないとヒヤヒヤしたものです。しかし、周りの皆さんは心温かい人ばかりで、一緒に音楽を作り上げることがだんだん楽しいと思えるようになりました。

 

また、結婚式直前の演奏会では、アンコールをメンデルスゾーンの「結婚行進曲」にしていただくなど、まるで家族のように温かく接していただきました。

 

今ではオーケストラでバイオリンを弾くことが私のライフワークになりました。

 

複数のオケを掛け持ちし、毎週末のようにバイオリンを背負って練習に出かけています。ご近所の方に「お仕事で演奏されているんですか?」と聞かれたほどです。

 

オーケストラがなければ私の人生は味気ないものになっていたかもしれません。

 

共に音楽を作り上げることの喜びを教えてくれたNCOと、温かく支えてくださった周りの皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。

2014年3月24日投稿

 

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2013年5月帰国 M.H.* Ob

 

小学校の音楽の授業でオーボエが紹介され、初めてその楽器の存在を知ったとき、怪しげな音色と「世界一演奏が難しい木管楽器」の魅力に引きこまれ、「いつか、挑戦してみたい」と思いました。

 

そのチャンスは高校入学と同時に訪れました。吹奏楽部でオーボエを担当することに。(実は、「オーボエでなければ、入部しません!」とかなり強気な入部でした。) やっと出会たオーボエとの、楽しい毎日がやってきました。当時、学校所有のオーボエは一本しかなかったので、私だけ。教えてくれる先輩もおらず、一人で黙々とやるしかなく、それでも本当にオーボエを吹くことが楽しくてたまりませんでした。私の高校生活は、吹奏楽部一色、オーボエ一色でした。

 

高校卒業と同時にアルバイトで貯め始め、オーボエをついに購入 。ですが、諸事情で部活動はできず...。社会人になってからは吹く機会も減ってしまい、そのうち、私のオーボエは私の宝物になり、そして、約10年後、ドイツに引越す際も「宝物」を大事に連れていきました。

 

ドイツ生活も少し慣れたころ、NCOへのお誘いを頂きました。子供達もまだ小さく、1番下が2歳になったばかり。ただの主婦の私がやったことのない、オーケストラなんてできるのか、オーボエ自体も10年以上もブランクがあり、しかも部活のレベルでしか経験のない私が、NCOに入団することが許されるのか、、、でも、こんなチャンスは二度とないかもしれない、厚かましくお世話になろう、と複雑な思いが交差し、初めてNCOを訪ねてから入団を決意するのに、一年かかりました。

 

NCOに在籍させて頂き、2年8ヶ月、音楽を通して多くの素晴らしい経験をさせて頂きました。 普通の主婦だった私が、ドイツで楽器を再開し、オーケストラに入団...生活リズムも自分自身の精神面でもそれまでとは一変しました。 大変なことも多々ありましたが、それを何倍も上回る充実感でいっぱいの毎日でした。

 

また、家族の支え、協力があってこそ、私がオーケストラに在籍することができたのですが、母の必死な姿を見て、子供達もそれを認めてくれ、また子供達が素直に音楽って楽しい、音が合わさるって素晴らしいと感じてくれたことが、何よりの財産となりました。

 

初めの第一歩を踏み出すのには、相当勇気が必要でしたが、NCOの一員として音楽をさせて頂いたこと、心から感謝しております。 自分が本当にオーボエのことが大好きだった高校時代を思い出しながら 、再び音楽ができることがとても幸せな時間を過ごすことができました。

 

今、日本に帰国し半年が経ちましたが、まだ、再びオーボエを吹く場所は見つかっていません。ですが、いつかまた、必ず再会したいと思っています。子供達と一緒に舞台に立つ日が来たら最高だな、と勝手な夢を抱きながら...。

 

2013年12月18日投稿

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2010年帰国 H.T*Cl

 

主人の転勤で、デュッセルドルフに2006年~2010年の4年間駐在しておりました。NCOとの出会いは、2008年9月。

 

中学・大学はパーカッションをやり、高校はクラリネットをやっていました。また機会があったら楽器をやりたいという気持ちは持ち続けていました。そんな時にお友達からNCOの事を聞き、一時帰国の際に実家に眠っていたクラリネットを持ち帰り、「全然吹けないけど、大丈夫かな?」と不安を抱えながらも入団しました。お友達の誘いが無かったら、まだ楽器は実家の押入れで眠っていたのかもしれません。

 

楽器の扱いや楽譜の読解能力が恐ろしく低下していて、周囲にご迷惑をお掛けしながらも、NCOの皆さんの温かいご指導と楽しい雰囲気で思い出に残るドイツ生活を過ごす事が出来ました。

 

日本に帰国してからもクラリネットを続けています。今は、広島の吹奏楽団に所属してクラリネットを吹いています。そして、パーカッションをやる機会もありました。ここでもいい仲間と出会い、楽しい音楽生活を送っております。こうして日本に帰国してからも音楽を楽しめるのは、NCOのおかげです。

NCOの皆さんから「こんなコンサートだったよ~」とメールを頂いたり、HPで写真を見たりすると、今でも繋がっているんだなぁ~と温かい気持ちになります。私にとってNCOは「また帰れる場所」になったのかもしれません。

 

「やってみたいけど、自信が無い」と思われている方がいらっしゃるかもしれません。きっと「やってよかった!」という出会いがありますよ、NCOに♪ 

2011年9月14日投稿

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