団員エッセイ「音楽と私」

 

音楽を始めたきっかけやオーケストラに対する思い、また楽しいエピソードなど、音楽に関する自由なエッセイを団員が書いていきます。

 

 

運命の(?)出会い

 

私がこの楽器に出会ったのは大学に入ったとき。

中学高校でブラスバンドに励んでいた兄の影響もあり、管楽器に憧れていたのです。私の通った中高にはそのような部活はなく、大学に入ったら…と。

 

はじめに訪ねたのはオーケストラサークル。そこで希望楽器を尋ねられ「管楽器ならなんでも」という無茶苦茶な返事をすると、「管楽器は経験者のみ」とのこと。

長年温めた管楽器への憧れは捨てられず、階下のブラスバンドサークルへ行くと、どの楽器でもOKとの返事。「なんとなく楽しそう」というイメージでトロンボーンを希望、話はとんとんと進み、明日が新入生歓迎会、という日になりました。

そこへかかってきたオーケストラからの電話。オーボエの1年生がいないので是非入ってほしい、とにかく話だけでも聞いてほしい、と。先輩からあんみつをご馳走になりながら熱い話を聞いているうちにすっかりその気になってしまい、結果オーケストラに入団することになったのでした。(ブラスバンドの方々、本当にすみません!!)

 

さて、それからが大変です。そもそもあんみつで釣られたくらいですので、オーボエがどんな楽器なのかもよくわかっていません。口が疲れて息は続かない、指は動かないし音程も悪い…。悲惨な日々でしたが、まわりに支えられてやっていくうちに、音楽を作る楽しさ、人と合わせる楽しさを感じられるようになってきました。

卒業後はアマチュアオーケストラに入りました。間には就職・結婚・出産とあり、何度か楽器を置こうと思ったこともありましたが、先生や仲間、そして家族に励まされ、続けてくることができました。

 

夫のドイツへの転勤が決まり、この先楽器を続けていくことができるのか不安になっていた時、このオーケストラの存在を知りました。実際にドイツに来てすぐは、慣れない生活に精一杯でなかなか楽器のことまで考えられませんでしたが、しばらくしてほんの少し余裕が出てきたので思い切って見学に行ってみました。するとさすが世界的人材難(?)のオーボエ、間近に迫っていた演奏会にのせていただけることになったのです。ドイツ語はサッパリの私でしたが、音楽は世界共通語であることを心から嬉しく思いました。楽譜を通してみんなが一つになれるって素晴らしい!

 

入団して1年、オーケストラが生活の一部になってきています。人と合わせることがとにかく楽しい!ここに自分の居場所があることが幸せです。

偶然選んだ楽器ですが、人生の半分以上共に過ごしていることになりました。飛行機に乗せられるサイズだったのも良かったのかもしれませんね。

いつも練習に気持ち良く送り出し、応援してくれる家族には感謝の一言に尽きます。

たまには(こちらでは貴重な)あんみつを食べて初心を思い出し、上を目指して練習に励んでいきたいです。

 

アヒルの子 (Ob.) - 2014年6月29日投稿

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私の成り行き

 

大学生になった時、何か今までにやったことのない新しいことを始めたい、と思ってオーケストラサークルに入りました。入団する時「希望楽器は何ですか?」と聞かれたので、何となく「チェロです」と答えました。なぜチェロだったのかは正直良く分かりません。当時私はただオーケストラに入りたかっただけなので、別にヴァイオリンでもティンパニでも良かったのですが、何となくチェロが一番しっくりきたのでそう答えました。同じチェロパートの子が「音色が素敵なので」と答えていたのを聞き、練習を見学しながら「あ〜そうかもね」と思った記憶があります。

 

それからしばらくの間は大変でした。慣れない練習で指は水ぶくれ、講義ではミミズのようなノートしかとれない。満員電車の山手線にはチェロを持っては乗れない。自動改札機でチェロを挟まれる(これ私だけですか?)。また、クラシックなんてあんまり聞いた事がなかったので、練習ではメンバーの話にもついていけません。

「ウィーンフィルとベルリンフィル、どっちが好き?」→(ウィーンフィルって何だ?・・え、オケの名前?)

「やっぱ、ベートーヴェンの第九やりたいよね!」→(「大工」交響曲!?一体どんな曲なんだ?)

振り返れば本当に恥ずかしい勘違いを連発しました。

 

入団したオーケストラは、18型四管編成(必要メンバーおよそ100人)の曲をやっても、団員の半分も乗れないような大所帯でした。そのため、アマチュアとはいえ、演奏会ではいつも熾烈な乗り番争いが繰り広げられました。

腕のたつ経験者も多い中、初心者で始め決して上達も早くなかった私の場合、もちろん始めの二年間はほとんど乗り番がなく、何をやっていたかといえば専ら楽屋番でした。ただ、厳しくも育ててくれる土壌のあるオーケストラだったので、地道に練習を続けていると、やがて交響曲が弾けるようになり、降り番がなくなり、そしていつも決まった席で演奏する事を求められるようになりました。

 

「乗り番は実力で取れ」「講義は休んでも練習は来い」「風邪をひくな。ひいたら周りにうつるから練習には来るな。でもその欠席を理由に降り番にされても文句を言うな」と、今振り返るとかなり名言、もとい迷言の多いスポ根オーケストラでしたが(ちょっと異常だったかも)、オーケストラについて沢山の事を教えてもらい、生涯の友人達を得た時期でもありました。

 

卒業後もチェロは細々と続けていましたが、ドイツに来る時はさすがに自分の楽器は置いていくことにしました。もうしばらく弾く事はないだろうなーと思っていた矢先、仕事の関係でデュッセルドルフに来ることとなり、今のオーケストラの存在を知りました。日本クラブオーケストラ創立者のN氏は、自分の会社の取引先の方でもあり、そして奇遇にもチェロを弾かれる方でした。

「僕、今度帰国するんだけど、君、代わりに入ってくれないかな?」

そう声をかけられたものの、仕事が忙しく楽器も持っていなかったので、お断りするつもりで練習に行ったことを記憶しています。ところが当日、そんな自分のためにわざわざチェロを用意して下さった方がいらしたので、何となく皆さんに混じって演奏していると・・何の条件反射か、つい本気でゴリゴリ演奏してしまい・・気がついたら当初の目的を忘れて入団していた・・という感じでした。こんなうっかり者ですが、懐の深い皆さんに支えられ、そろそろ入団三年目が過ぎようとしています。

 

トロ(Cello) - 2012年5月1日投稿

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みんな違って、みんな良い

 

子供のころから音楽が好きで、幼稚園でオルガン、小学校に上がってからは中学二年まで、エレクト-ンを習っていました。エレクト-ンは大好きだったのですが、ベース、伴奏、メロディ-、パ-カッションすべてをたった一人で弾くことに、何となく寂しさを感じていました。“いつかグル-プで演奏できる楽器をやりたい”と思いつつも、高校/大学、そして卒業とほぼ同時に結婚して渡独、生活に慣れたら就職、その後は仕事一本の毎日で、飛ぶように時は過ぎ、音楽からは離れていくばかり。

 

その後、子供が生まれ、たまたま子供のリトミッククラスの先生がバイオリンを教えていることを知りました。“今習わなかったら二度とチャンスは来ない”と思ってバイオリンを初めて手にしたのが3年前、40歳をとっくに過ぎてからでした。

 

高齢(?)で始めたので、とにかく頭に入らない、指が動かないし覚えない、覚えたと思っても次の日には忘れている、という調子でなかなか進歩がなく、落ち込んでばかり。そんな私のレッスンを見ているうちに、娘もバイオリンがやりたいといい始め、二人で同じ先生からレッスンを受けるようになりました。

 

今7歳の娘はオケの練習時にたいてい見学しているのですが、普段見ることのない楽器に触れることができ、また(私のそれとは比較にならない)素晴らしいバイオリン演奏をライブで聴けるので、とても楽しい様子です(団員の皆さんがやさしく声をかけてくださるので、自分も団員だと錯覚しているところもありますが(笑))。オケで演奏する曲は大概全部覚えてしまい、時々お絵かきや塗り絵をしながらシュ-マン、ロッシ-ニ、バッハなど、心に浮かんだメロディ-をハミングするのですが、そういう時の娘はとても優しい顔をしています。

 

オ-ケストラのすばらしいところは、“みんながそれぞれ出す音が溶け合う”ところだと思います。子供のころからあこがれていた、“自分は自分の音を出しながら、それでいて大きな音の中に包み込まれる”体験を、バイオリン歴3年で味わえるとは思ってもいませんでした。こんな初心者でも受け入れてくれる、間口の広いオケに出会えて、本当に幸運だと思います。

 

小学校に上がって幼いながらそれなりに人間関係で苦労している娘に、“人間にもいろんな人がいるけど、みんながそれぞれ良いところを持ってるんだと思うよ。みんなの良いところが合わさったら、最高だよね。オケと同じだね。どの楽器が偉い、とか、どの楽器が変、ってことはなくて、みんなで弾くからカッコイイんだよね。”と話をしたことがあります。娘がこれからいつまでバイオリンを続けるかわかりませんが、“(人それぞれ)みんな違って、みんな良い”ということを、楽器を弾くこと、オケに参加することでわかってくれたら、それだけで十分な気がします。

 

そうは言うものの、いつか、第一バイオリンで演奏する娘を右手に見ながら演奏する日が来ることを思い描きながら、今日も動かない指と硬い手首を相手に、練習に励む私です。

 

高校・大学時代は天文部 (V2) - 2012年2月6日投稿

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最初は・・・

 

音楽好きな方なら・・・自分の子供も音楽好きになって欲しいなあ、と期待しても不思議ではないですよね?

 

ところが、息子が未だ小さいときの話ですが、私が子供の前でピアノを弾こうものなら、最初の一音で泣き叫ばれ、
友達がヴァイオリンを習っているのを見ても、彼は全くの無関心。「これは・・・音楽に全く興味が無いのかも・・」

 

失意を抱いたまま、小学校入学前の発達検査に小児科の病院を訪れたとき、「指の運動能力の発達が遅れていますね。おかあさん、音楽の先生なのですか? では、是非息子さんにピアノを教えてあげてください。」とのアドバイス。それが息子と音楽との出会いとなりました。

 

その後、小学校で参加したクリスマス会でチェロを弾いている友達を見て、「僕もチェロが習いたい!」
ちょうど知り合いのチェリストが音楽教室の先生を辞め、個人レッスンの時間があるから、と、楽器も手配してくださり、チェロのレッスン開始。

 

あれから、もうすぐ10年。最初はレッスンでの先生とのデュエット、ピアノ伴奏での曲しか弾いたことがなかったものの、このオーケストラができてからオーケストラの中でチェロを弾く、という貴重な経験もさせてもらえるようになりました。

 

学校行事で練習に参加できなかったり、宿題に追われて個人練習不足のままオーケストラの練習に参加したり、と周りの皆さんにご迷惑もかけていますが、メンバーの年齢も楽器経験もさまざまな、このオーケストラの1団員であることを楽しんでいるようです。

 

最近、ドイツの教育界でよく耳にすることは「楽器の練習をしている子は学校の成績もよい。」(例外が...我が家にいますが)もし、これを読んでいらっしゃる親御さん、お子さんが楽器をやられていないのでしたら、いかがでしょうか?何か楽器を習わせてあげては???

 

ただ・・・チェロはお勧めできません。

チェロを子供が始めた日には・・・


親に楽器の運搬役がつきまといます。


車の購入の際にも、チェロケース持参でディーラーに向かうことになります。


それに・・・練習場所も結構とります。


練習にはいつも椅子が必要になります。


下手をすると、木の床は穴だらけになります。

一時帰国のときに楽器を持って帰れません。


女の子だったら、タイト、ミニスカートがはけません。

 

・・・・・・でもやっぱり

チェロの音って、いいですよね!

しろうさぎ (Flute) - 2011年11月15日投稿

 

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出会い

 

「義務教育において授業で習った」程度しか音楽の知識のない私。楽譜を読むのにも一苦労なのです。それでも頑張って皆さんと演奏したい!そう思えるのはやっぱり、音楽の楽しさに気付いてしまったからなのでしょうね。

 

楽器との出会いは中学の吹奏楽部でした。楽器の選択は、全く迷わずに決まりました。前々からあの可憐な雰囲気と美しい音色が好きだったためです。しかし、正直なところをいうと、中学3年間はそんなに熱心に取り組んではいませんでした。即決だったにも関わらず、です。あの頃って、他にも色々と気になることが沢山あるもんじゃないですか。仕方ないですね。それでも楽器がとっても好きだったので、またいつか吹きたいなぁ、と思いながら月日は流れ・・・学生時代は学業に、成人後は仕事に追われてなかなかその機会はありません。

 

ところが、チャンスというのはやって来てくれるものなのですね。

 

結婚して主人のドイツ赴任に付いて来た私には、時間的なゆとりができました。そこで、その頃すでに活動していた日本クラブオーケストラの存在を知ると、さっそく思い切って見学してみました。楽器の経験も少ないし、楽器自体も持っていなかったのに。でも、それをきっかけにレッスンして下さる先生に巡り会い、楽器を中古で譲って頂きました。出会いって不思議ですね。それから一年も経たないうちにオーケストラやブラスに参加させてもらっていました。

 

現在、楽器を習い始めて2年になります。団員の皆さんに迷惑をかけることも多々ありますが、その道を志す方や職業としている方たちに紛れ、駐在員や主婦、学生さんたちと共に良い刺激を受けながら楽しく演奏できています。楽器はたった一人でも奏でることは出来るけれど、こんな楽しさは一人じゃ味わえないものですね。

 

今後もこのオーケストラが成功、発展を重ねながら末永く存続していってくれることを心から願っています。

 

駐妻A(Flute) - 2011年9月6日投稿

 

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